「職業人とはなにかパニック」が教えるもの
先々週から、「職業人とは何か」という検索語でのアクセスが急増し、このブログでかつてなかったアクセス数を記録しました。しかし、先週前半でぱたりとアクセスがなくなりました。そのことについて、twitterに書きましたので転載します。正直のところ、がっかりしています。
なお、私のtwitterアカウントは@pointscaleです。
無料で就活生の相談に乗るようになって4年目だが、とてもがっかりしている。先々週の末から、私のブログに「職業人とは」という検索でのアクセスが急増。通常の5倍にふくれ上がり、のべ1万近くのアクセスとなったが、ぱたりとそれがなくなった。
理由は、大手鉄道会社のエントリーシートの設問になったから。つまり、設問になったからみんな検索してきたけれど、締切が来たから用済みになったのだ。そこで、みんな考えることをやめてしまった。こういうわけだ。
アクセス解析によると、ほとんどの就活生が検索のページから出ずに閲覧を終えている。自分で考える方法を書いた過去ログへのリンクを張ったが、アクセスはとても少ない。つまり、就活生たちは「あなたにとって職業人とはなにか」という質問に対する「正解」を速く検索して、丸写ししたい、あるいはしたのだ。
「職業人とはなにか」。経験を積んだわれわれだって、試行錯誤の中から「こうかな?」と探り出すようなテーマだ。自分の考えた職業人の定義と要件を書けばいいのだが、就活生は経験がないのだから、現段階の自分の経験や企業研究から、「こうかな?」と考えた根拠やプロセスを提示すればよいし、それが問われる。
「職業人とはなにか」は、同じような自己PRや志望動機があふれかえるのに食傷した企業が、「自分で考えたことで勝負せよ」と突きつけた切り札である。写せばばれるし、通過しても面接で馬脚を現す。つまり、企業は「大学は、思考力を養うところ」という原点に戻った設問を出すことで、学生の力を試そうとしているのだ。
しかし、「成果をアピールする」思考しかできない就活生たちはパニックに陥った。いつもの「○○を実現しました」のアピールができず、どうしていいかわからなくなったからだ。私のブログへアクセスしたのべ1万の就活生のうち、ほとんどが討ち死にすることになったろう。思慮が浅すぎる。
学生たちと接して痛感するのは、彼らは日常、とても努力しているのに、それを糧にして考えを進める力が圧倒的に弱いということだ。それには、本質の理解が不可欠であり、その経験がないとノウハウは身につかない。大学で「考えるための自分なりの方法をつかむ」教育が行われていないのだ。
就活問題の一番大きな原因は、結局のところ、「就活生の力不足」である。私はそう思わざるを得ない。この圧倒的な現実の前には、企業の採用数の問題も、学生の人気企業への集中も、ほとんど意味をなさない。このていたらくは、一義的には大学の責任だと思う。しかし、それだけではない。
就活生や大学をここまで追い込んだのは、「こうすれば、こうなる」と信じ、最短距離で実現する完成した人材を欲した、企業や社会の問題でもある。「こうすれば、こうなる」というノウハウを得るには、仮説と試行錯誤の検証、というプロセスを体験することが不可欠だが、それが置き去りにされている。
学校でも企業でも、これが教えられなくなっている。大学で身につけるべきは、自己PRの書き方でもなく、ましてや「就活におちこぼれない」ための効率的な授業の受け方でもない。自分で問題を立て、我慢して考え、「こうかな?」という仮説をひねり出して検証する力だ。これさえあれば、就活は楽々こなせるはずなのだ。
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