第68号-2:団塊世代ジャーナリストは若者の登場機会を奪った
■「就職氷河期世代」の怨嗟(えんさ)
武田さんはフリーのライター。会社勤務を経て、週刊誌で紹介記事などを書いている。1年半のキャリアを積んで企画モノの仕事も入り、ライターとしてのステップアップの時期である。
「私は27歳で、就職氷河期世代、ニート世代です。優れた同級生が就職できないでいる状況を目の当たりにしています。団塊世代の雇用を確保するために、若者はニートなりフリーターなりにならざるを得ない状況があります。団塊世代が日本をだめにしたのに」
武田さんのコメントはいきなりとんがっていた。
彼らの大卒就職活動期は2000〜2001年頃。厚生労働省や文部科学省の統計を見ると、就職内定率のグラフは谷底となっている。フリーターが急増したとされるのもこの時期だ。就職活動で苦労させられ、機会不平等で「割を食っている」という思いが、「若い世代が抑圧されている」という反感に育った。
「言うまでもなく、鳥越さんは老人です。優れた仕事を残してきたことは認めざるを得ませんが、リスペクトさせていただくだけではなく、私たちも優れた仕事をしたいのです。その上、年長者の存在が障壁になっているとしたら、優れたジャーナリストと言えども迷惑です。既存メディアでも、それが紙面のつまらなさにつながっているのではと考えています。若者のチャンスを奪っていることが私には許せない。俺たちにやらせてくれ! と訴えたいのです。オーマイニュースは、団塊のためのメディアなのでしょうか?」
■「オーマイニュースという場」のマネジメントが急務
このような激しい思いを抱いた武田さんは、シンポジウムでこう質問した。
「ネット感覚でホームページが作られていない。既存メディア的感覚で作っているのではないか。ライブドアPJやJANJANなど、先行者の評価をしているのか」
鳥越編集長はこう答えた。
「ネット感覚でやってないという批判はそのとおり。編集とうまい具合に融合しなければならない。単なるお座敷の提供ではなく、どんなお客さんに来て欲しいかという意志が必要だと思う。ライブドア、JANJANは見たことがないので知りません」
この「率直な」答えに、場内はややざわめいた。
武田さんはいう。
「鳥越さんがネットについてさほど詳しくないと告白したことに、オーマイニュースのスタッフは危機感を覚えた方がいいと思います。スタッフたちもネットの状況をあまり知らないようで、編集を新聞感覚でやっていて、『読ませてやっている』という意識が強い。インターネット的な『対話』メディアから最も遠くなってしまう。それで、はたして読者に受け容れられるでしょうか」
オーマイニュースにおける市民記者の役割について、鳥越氏のモデルは市民記者の体験(=小さなファクト)の積み上げによる問題意識の発掘による調査報道であり、平野日出木編集次長は「輪転機」モデルをとなえ、よい記事もそうでない記事も伝えていくもの、と「淘汰もあり」モデルをイメージしていることは第67号で報告したとおりだ。発足したばかりのメディアであり、試行錯誤や見解の不統一は仕方がないが、「準備ブログ」の頃から批判の多かった、この「オーマイニュースという場の枠組」について、今ひとつ編集部の方向性が見えない。
各人のイメージするモデルが全くばらばらであったことで、シンポジウムでも、マスメディアに比肩するファクトを市民記者が提供することが果たしてできるのか、ファクトがとれないならオピニオンだけでいいのか、あるいは市民記者がファクトとオピニオンをどのようにバランスさせることができるのか、編集部はどのようにかかわるべきかなど、「記事のマネジメント」については、議論の土俵もできないままほとんど詰めることができなかった。しかし、ファクトが提出され、コメンターによって解釈や補強するファクト、反対のファクトなどが提出されて、だんだん世界観が共有されていくネット言論的モデル——そこに若干の「煽り」や「叩き」のノイズが混入すればそいつは「2ちゃんねる」モデル——は考慮されておらず、武田さんのいらだちもそのあたりにあるものと思われる。ネット上の議論の特性が理解されずに、強引に「場」を切り盛りしていこうとすれば、
「既得権を持っている世代に、『奪われた』感じが、現在の若い右派的な若者の年長世代左派批判への根底にあるのではないでしょうか」……という感情に火がつくことになるのだろうか。これが、「炎上」の理由の一端なのかも知れない。
ただし、この記事を書いている9月8日現在、オーマイニュースのコメント欄はひところよりは落ち着きを見せており、「炎上」することが多かった、記者のイデオロギーが前面に出ている記事であっても、事実や違った観点を指摘する冷静なコメントが増えてきた。これをいい方向と見るか、あるいは「ブログ時評」63号のいうとおり、「飽きられた」と見るかは、まだ予断を許さない。
(つづく)


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