海外のカリグラフィ動画から、パイロット・エラボーへの関心に火がついたようで、私がかつてエラボーのことを取り上げたブログにも多くのアクセスをいただいています。25年来のユーザーとして、嬉しく思います。
一方で、エラボーをこの機会に手にした人の中には、「思うように抑揚のついた文字が書けない」という不満が散見され、中にはすぐ手放した方もいるようです。
ちょっと待って。私は、ふたつのことを申し上げたいと思います。
例の動画に使われているエラボーは、どうもカリグラフィ用に調整されているらしいということがひとつ。そして、万年筆とは、買ってすぐに望みの書き味が実現できるものではなく、しばらく使って自分の手になじむまで時間が必要であり、それこそが万年筆の醍醐味だということです。
先日、エラボーを2本取材に持っていったところ、小さいお子さんが一緒でした。退屈しないようなものを何か与えよう、と思って、あまり慣らしができていない細字の1本を、万年筆を使うのが初めての7歳の女の子に貸してあげました。
使い方は教えましたが、きちんと持たないと書けないペンを使うのは初めての経験のようで、「ガリガリ」とか「グキ」とか引っかかり、インクのしぶきを飛ばしながら絵を描いています。おそらくは、万年筆ファンにとって心臓が止まるような音です。
親御さんや同席された方が気を使って取り上げようとしたのですが、ちょっと理由があって、いまはその子が思いのまま、心ゆくまで遊ぶことがとても大切だと私は考えました。どうしても、「ダメ」というメッセージを伝えたくなかった。そこで、最後まで彼女に万年筆を握らせました。
ホテルに帰ってから、「まあ、具合が悪くなったとしても、京橋のパイロット・ペンステーションに持っていって、ペンクリニックに出せばいいや」と思って試し書きをしてみました。すると、書き味が大きく変わっていて、なんと書きやすくなっているのです。ペンの弾力がより感じられるようになり、線の太さがよく出せるようになっているので驚きました。
結局のところ、「いじめた」ことで、エラボーの書き味が出てきたわけです。
万年筆とはこういうアナログなものです。せっかくエラボーとのご縁ができたのですから、しばらくいろいろ試していただいて「真価」をつかんでいただきたいし、エラボーとはそれだけの意義がある万年筆だと、私は信じています。
最後に余計なことを付け足すならば、そのときエラボーが壊れてもよかったのです。そのかわり、彼女には、ペンという、いままで知らなかった筆記具を使うことで自分の夢を伸ばせるかも、という期待が残ったはずだから。それをうまく育てれば、彼女が未来を生きるための力にもなったはずです。
新学期に、いまは学習に使う場面がほとんどない万年筆を贈る意味って、何でしょう。
「あなたが全く知らない世界に羽ばたいてほしい」ということかも知れない。そう思いました。
その日の「万年筆との出会い」を忘れてほしくないので、私は入門用の260円で買えるペンを、彼女に送ってあげようと思っています。
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