まちづくり

2012年10月10日 (水)

過去の産業遺産保存で、未来志向の世界が拡がる。(大井川鐵道SLフェスタ)

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(GXR A12 28mm・許可を受けて撮影しています)

大井川鐵道新金谷駅の改札脇にある「This is Cafe」で、抹茶ラテに絵を描いてもらった瑛梨さん。待合室でみんなで絵を見ていたら、中年男性が声をかけた。

「写真を撮ってもいいですか?」

ラテに描かれた絵の写真を撮ったその男性は、次にこう言った。

「私は中国人です。中国の宋の時代では、お茶の表面に絵を描くという技法があり、いま、それを再現しようと研究が行われています」

宋代のお茶は抹茶である。当時、どのように絵を描いていたのかが今ひとつわからず、試行錯誤が続いているのだそうだ。日本の茶道でするように、泡立てた抹茶に絵を描くのだろうか?

声をかけてきた人は、曹建南と名乗った。

曹先生は、上海師範大学の副教授。大阪の国立民族学博物館に客員研究員として滞在しながら、各地を実地に足で歩いているという。日本でいえば、フィールドワークを重視し、やはり自分の足で歩いた宮本常一のような民俗学者ということになるのか。東海道線島田駅前に立つ栄西像(留学先の宋から茶を伝えたと言われている)を観て新金谷駅にやってきた、これから金谷の町の背後にそびえ立つ牧ノ原台地の上にあるお茶の博物館「お茶の郷(さと)」に行くのだという。

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曹建南先生のフィールドワークスタイル。使われているノートは、コクヨの「測量野帳」だ。私も大好き。(GXR A12 28mm)

さらに曹先生と私、そして茶娘の「おねえさん」たちは、尖閣問題についての意見を交換した。その詳細はここでは控えるが、両国の報道や、ネットで声が大きな意見とは違う方向になったとだけお伝えしたい。私自身は、

「両国の抱える問題性は、ずいぶん似ているところが多いな」

という印象を持った。曹先生は、自分の日本についての論文が、中国の学術雑誌に載せられる予定だったのが尖閣問題のせいで延期されてしまった、と笑っていた。

曹先生に白井氏を紹介した。

「日本で産業遺産の意義を認め、保存・活用を手がけたパイオニアであり、大井川鐵道に蒸気機関車が保存されているのは、白井氏の仕事である」

産業遺産、という言葉がわからないようなので、彼のノートに字を書いて説明した。

すると、曹先生はこう問うたのである。

「古いものを保存するのはいいが、ものだけなのか。保存対象に宿っていた精神まで保存することは考えないのか」

待ち望んだ質問だ。

「運転技術、保守技術も合わせて保存することで、初めてSL保存は続けることができる。これは、〈近代の精神〉を保存していることにほかならない。また、大井川鐵道では、SL列車の乗客と沿線住民とが互いに手を振り合うことで、近代文明の象徴である蒸気機関車に当時の人たちが抱いた憧れや、昔ながらのコミュニケーションの方法が保存されているのです」。

「中国でも、古い機械などを保存し、その技術を継承することで、世代間のコミュニケーションギャップをなくそうという狙いの政策が行われています」

なるほど、そんなことが。いま中国の歴史教育は、領土問題や日中間の歴史認識に限って伝えられるが、これは新しい角度の情報である。社会の統合を世代間の結合を強めることで確保しようという政策だろう。尖閣問題の裏には欧州金融危機をきっかけとした中国経済の大きな曲がり角があることを考え合わせると興味深い。

中国では最近、大規模な鉄道博物館の整備が相次いでいるようだが、その意味はここにあったのか。「上から号令をかけて産業遺産への理解を深めさせる」という浸透力は、いまの中国社会でどれほど発揮されるのだろうか。

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SL列車発車。お互いに手を振り合う。(GXR A12 28mm)

ちょうどこの日最後のSL列車が発車。曹先生と白井氏と見送った。

曹先生の専攻は中国の土俗宗教で、このテーマの論文発表には苦労もあるようだった。私も石仏研究家だったこともあるので、情報交換を約して、曹先生は金谷行きの電車に乗って行かれた。

旅行者と地元の人と、そして外国の人との新しい出会いがあり、産業遺産の話のみならず、未来志向の話もできる。これらはみな、蒸気機関車の動態保存という、産業遺産の保存、そして、This is Cafeの、ラテの泡でSLの絵を描くという、新しいカフェ文化の提案をきっかけに拡がった世界なのだ。

大井川鐵道に来て、人と話をすれば、こんな体験をすることができる。
産業遺産保存は、未来志向なのだ。

話はこれで終わらないた。
東京に戻ってから、曹先生の「もうひとつの実績」を、私は発見したのだ。
なんと、曹先生は、『電車男』の中国語訳者のひとりだった。

これにはさすがに驚いた。
現代に生きる民俗学者の面目躍如である。見習わなければ。

2012年10月 9日 (火)

大井川鐵道新金谷駅に、新しいカフェ文化生まれる

いま、あちこちで新しいカフェ文化が生まれている。

たとえば、東京スカイツリー周辺の墨田区一帯。ものすごく旨いコーヒーを出すカフェが増えている。それも、スカイツリー周辺に集まっているのではない。路地裏など生活に密着したところにぽつぽつと出店しているのだ。

店主の多くは、銀座などで店を出し、コーヒーを淹れていた人たち。この界隈の成長性を見込み、空き店舗を利用して出店コストを抑えられるメリットにも着目した。また、地元の町工場経営者や家族が、廃工場を利用してカフェを開いているのも散見される。ただのカフェではなく、おしなべてコーヒーのレベルが高い。もともと高齢化しているこの地に受け入れられるか、スカイツリーの観光客が回遊してくるか、これからが正念場である。

さて、なぜ、こんな前置きをしているかというと。
大井川鐵道新金谷駅に、すばらしいカフェができていたからだ。

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昭和3年に完成した大井川鐵道新金谷駅舎。2階に本社を置く形式の木造駅舎は、地方私鉄でよく見ることができた。本社ではないが長野電鉄湯田中駅が同じ造りだ。東武野田線野田市駅も、前身の総武鉄道の本社が2階にあった時代を今に伝える。(リコーGXR Mount A12 SWH15mm)

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なんの変哲もない地方私鉄の改札口。しかし、その右隣が改装されていた。(GXR A12 28mm)

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この2月にオープンしたThis is Cafe。蔵の扉を思わせるような引き戸をごろごろと開けると、中はカウンター中心のカフェとなっている。(GXR A12 28mm)

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内部はこんな感じ。白井氏とコーヒーを飲んでいたら、SLフェスタ開会式のステージで茶娘踊りを披露した茶娘姿の「おねえさん」たちが、コーヒーを求めてどやどや入ってきた。時ならぬ、お茶とコーヒーの出会い。(GXR A12 28mm)

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ブレンドは厳選したスペシャリティコーヒー。目玉は、店主の富田圭さんが絵を描いてくれるカフェラテだ。小さな茶娘は「豆茶」と呼ばれている。絵をリクエストした小学生の瑛梨さんがじっと富田さんの手先を見つめる。ここはお茶の大産地。その真ん中に、本格的コーヒー店が生まれたのだ。(GXR A12 28mm・許可を得て撮影しています)

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「SLラテ」は、泡で作った煙に、機関車のシルエットと「OIGAWA RAILWAY」のロゴがカカオの粉で入る。お客と顔をつきあわせながら作った後は、新金谷駅の模型の前で記念撮影というイベントが。これは新しい体験だ。SL列車への持ち込みもできる。(GXR A12 28mm)

SL保存を日本で最初に始めた大井川鐵道。事業の立役者、白井昭氏は、「線」の鉄道の運賃だけでなく、土産物、飲食、宿泊など「面」で収入を得るべく多角化を図った。列車の中で食べる「SL弁当」を作っている「大鉄フード」は、地域になかった弁当製造・販売業としても成功した例だ。

保存鉄道40年の蓄積は、前のエントリでご紹介した、「SL列車に向かって手を振る」「古い駅舎や里山を一体の風景として保存する」など、さまざまな沿線文化を生んでいる。それらと経済が結びつくこと。これが、保存鉄道、ひいてはローカル鉄道全体の生き残りに不可欠だ。

This is Cafeは、久々の「新提案」。アトラクティブなコーヒー文化は実に興味深い。地方の特産を活かしたまちおこしはどこでも取り組んでいるが、ユニークさからブランドと化したものはごくわずかしかない。ぜひ、これが「名物」となり、カフェのために新金谷駅に人が集まるようになるといい。

そして、そこからさらに、新しい文化を。

2012年10月 7日 (日)

大井川鐵道「SLフェスタ」、その隠された2つのテーマ

5日から8日まで、大井川鐵道で第2回「SLフェスタ」が行われている。

初日の開会式を見に出かけてきた。

5日は金曜日の平日。島田市は、地域独自の休日を作って家族でふれあう時間を作ろうという趣旨の、観光庁の「家族の時間づくり」プロジェクトに参加、市内の学校を休日とし、SL列車に親子無料招待などのイベントを組んでいる。会期のうち5日は、「地元市民のためのフェスティバル」なのだ。
全国で「地域に眠る観光資源でまちおこしを」、という試みが行われているが、地元に認識を浸透させようというアイデアは素晴らしい。開会式では、「より地元のイベントになった感じだ」という声が聞かれた。

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新金谷駅転車台近くで行われた開会セレモニーには、親子連れを中心とした島田市民が詰めかけた。(リコーGXR A12 28mmF2.5)

写真下中央のスーツにネクタイの人は、新金谷から6つめの山間の駅、福用駅周辺がエリアの、北五和自治会会長の鈴木曠雄(あきお)さんだ。福用は通過駅だが、鈴木さんは自治会長になって以来、「SL列車に手を振ろう」と呼びかけている。遠来の客をもてなそう、という気持ちの表れで、福用に限らず大井川鐵道沿線では、地元の人と乗客が手を振り合う光景がそこここで見られる。

SLフェスタの隠れたテーマは、実はここにある。地元の人に大井川鐵道の価値を深く認識してもらうことで、観光資源として「愛してもらおう」というのである。8日までの期間中、福用付近では北五和自治会の人びとが「お茶」をイメージした萌葱色のハンカチを振っている。

開会イベントでは、「C11270号の70歳を祝うイベント」が行われた。体験乗車に集まった子どもたちが、SL機関士に記念ヘッドマークと、燃料の石炭をプレゼントした。
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子どもたちから渡されたヘッドマークを掲げるSL機関士。電車運転士を兼ね、ローテーションで乗務している。ヘッドマークの右は川根本町の佐藤公敏町長、左は大井川鐵道の伊藤秀生社長。(ニコンD300 18-70mm f/3.5-4.5G)

もともと過疎地域を走っている大井川鐵道は、昭和40年代、ラワン材の輸入に押されて林産資源の鉄道輸送が激減し、経営危機を迎えた。その起死回生策として考えられたのがSLの動態保存運転だ。昭和17年新製以来北海道で働き続け、釧路機関区標茶派出所で廃車になったC11227は大井川鐵道で第二の人生を得て昭和51年から走り始めた。いまや大井川鐵道は観光鉄道として成り立っている。

蒸気機関車の動態保存を発案し、そのC11227を廃車された5両の機関車の中から自ら選んできた白井昭元大井川鐵道副社長は、会場から少し離れた、新金谷駅前のSL列車待合所の「プラザ・ロコ」にいた。

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駅近くの東海道を通った朝鮮通信使について研究、この日が解説看板のこけら落とし。パンフレットを手にする白井昭氏。その人生を追ったヒューマン・ドキュメントが『鉄道技術者 白井昭』だ。(リコーGXR A12 28mmF2.5)

大井川鐵道のSL保存を実現させた白井氏は、日本の産業遺産保存の草分け的存在である。もともと名古屋鉄道の技術者だった白井氏は、乗客が最前部に座って前の景色を展望できるパノラマカーや東京モノレール開通時の車両設計を主導、さらに名神高速道路養老サービスエリアの企画にも関わった高度経済成長時代の〈申し子〉。しかし昭和44年に大井川鐵道に出向。今度は経営者として保存鉄道化で鉄道の生き残りを成功させた。

白井氏は、ただ古い鉄道車両を保存して人寄せパンダにすることをよしとしない。SL保存も、運転技術や補修の技術、部品製造の技術や設備までを産業遺産ととらえ、丸ごと自社で保存を図った。だから大井川鐵道には、全国のSL保存を行っている鉄道から技術的なアドバイスを求められる。SL保存を36年続けられた背景には、このような努力があるのだ。

経営をリタイアしてからの白井氏は、大井川鐵道沿線にある水車や水力発電所などの鉄道以外の産業遺産、そしてそれを支える文化の研究に打ち込んだ。白井氏が住まう借家のすぐ近くには旧東海道の大井川の川越しがあり、川止めのたびに金谷宿は賑わった。白井氏は地元の歴史研究団体「金谷川越しの会」に参加し、旧家の保存運動や川越しの歴史の発掘に熱中している。

その中で発見されたのが「朝鮮通信使」の史料だ。朝鮮半島からの友好施設は室町時代から江戸時代にかけて10回来日し、江戸時代になると大阪に上陸して東海道を江戸に向かった。きらびやかな民族衣装をまとった一行が金谷宿で休憩し、食事を提供した記録が残っていたのだ。
埋もれていたこのような史実を知ってほしい。白井氏は各方面に働きかけ、島田市がプラザ・ロコに看板を設置し、解説パンフレットを置くところまでこぎつけた。SLフェスタと同時に、こけら落としが行われたのである。

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「金谷川越しの会」のメンバーとともに、島田市の桜井勝郎市長に説明する白井氏。(ニコンD300 18-70mm f/3.5-4.5G)

白井氏は大井川鐵道時代にスイス・ブリエンツ・ロートホルン鉄道と台湾・阿里山鉄道と姉妹鉄道関係をつくり、他国の鉄道と行き来することで保存鉄道の技術や経営を教え合い、市民ぐるみの交流に発展させることで、ひいては鉄道の存続をもにらんだ戦略とした。地方生き残りのために国際交流は不可欠。朝鮮通信使の歴史を広く知らせたいのも、そんな考え方の延長なのだ。

島田市は中国・湖州市やスイス・ブリエンツ町など5つの都市と姉妹都市関係を結び、現在は阿里山鉄道の走る台湾・嘉義市や韓国・東豆川(トンドゥドゥチョン)市との関係づくりを模索している。
 SL列車に乗車前に、朝鮮通信使説明板のこけら落としに訪れた桜井島田市長に聞いた。
——尖閣・竹島問題で日中・日韓関係が揺れているが、自治体交流、自治体外交についてどう思いますか。
「国として、言うべきことはちゃんと主張しなきゃなりません。しかし、地域交流は別です。なぜなら、都市同士は絶対に戦争にならない。だから友好関係を途切れさせないことが、ひいては国益にもつながる。8月に少年野球チームが友好試合で韓国遠征をしましたが、韓国で竹島問題を持ち出す人はいませんでした。どんどん友好を進めていきます」

 白井氏の、鉄道生き残りのため、さらに歴史を発掘することで国際交流を進めたいという思いと、島田市の国際交流の多極化が、朝鮮通信使の説明版の前で響き合い、地域がより豊かに、したたかに生き残っていくための戦略の一端が見えた。そう感じたSLフェスタのひとこまだった。

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記念撮影。中央左は島田市の桜井勝郎市長、左端はこの説明板設置に尽力した島田市議会の仲田ゆう子議員。阿里山鉄道を縁にした台湾・嘉義市への訪問団団長も務めた。(ニコンD300 18-70mm f/3.5-4.5G)

2012年10月 5日 (金)

地元のまちづくり意識を高める大井川鐵道「SLフェスタ」5日〜8日

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日本で一番最初に蒸気機関車の動態保存運転を始め、日本で唯一SL列車が毎日走る大井川鐵道で、5日から、第2回となる「SLフェスタ」が行われる。

期間中はSL重連運転やさまざまなイベントが行われるが、何といってもこのフェスタの特徴は、地元の島田市と川根本町が主催し、地元の人向けに、観光資源であるSL列車、そして大井川鐵道の価値を認識してもらおうということにある。

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大井川鐵道の特徴は、客車も含めて極力SL現役当時の時代を保存し、運転技術や整備の技術も自前で蓄積してきたところにある。それを主導してきた技術者・経営者の、波乱万丈のストーリーをまとめたのが、『鉄道技術者 白井昭』(高瀬文人著、平凡社)

もともと、この沿線の人は、「SL列車に乗りに来る人たちをもてなそう」という気持ちが強い。だから、沿線の茶畑や道路などから盛んに手が振られ、列車の乗客と手を振り合う光景がそこここで見られる。鉄道の楽しさ、旅の原点が、大井川鐵道にはまるごと保存されているのだ。

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偶然写した、茶畑から手を振る人々。この写真から畑の持ち主を割り出して訪ね、SL列車に手を振るのはなぜかを聞いたエピソードは、本にも書いた。

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SL列車が通過する福用駅で、手を振る北五和(きたごか)自治会の人びと。SLフェスタでも福用付近では何かあるはず。

大井川鐵道はJR東海道線金谷駅から大井川をさかのぼる。もともと金谷町、川根町、川根本町を通っていたが、金谷町と川根町は島田市と合併する。

もともとの島田市民からすると、金谷は大井川の対岸であり、大井川鐵道はなじみが薄かった。そこで、大井川鐵道が島田市全体の観光資源であることを、さらに市民に認識を深めてもらうために企画されたのがSLフェスタだ。つまり、SLフェスタは観光客向けのイベントだけではなく、地元の人たちに楽しんでもらいながら認識を深めてもらおうという、珍しい試みなのである。

規制緩和を利用して、島田市は5日(金)、市内の学校を休日とする力の入れようだ。

私も5日の朝だけ、ちょっと顔を出してくる予定。

ところで、SL列車の始発駅・終着駅である新金谷駅の中に、素晴らしいカフェがオープンした。コーヒーの味はもとより、まちづくりのヒントとしての示唆が非常に大きいので改めて取材してご紹介したいと思うが、SLフェスタに行かれる方は、ぜひ立ち寄ってほしい。こんなに本格的で、楽しい「SLラテ」が飲める。ぜひ。

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