過去の産業遺産保存で、未来志向の世界が拡がる。(大井川鐵道SLフェスタ)
(GXR A12 28mm・許可を受けて撮影しています)
大井川鐵道新金谷駅の改札脇にある「This is Cafe」で、抹茶ラテに絵を描いてもらった瑛梨さん。待合室でみんなで絵を見ていたら、中年男性が声をかけた。
「写真を撮ってもいいですか?」
ラテに描かれた絵の写真を撮ったその男性は、次にこう言った。
「私は中国人です。中国の宋の時代では、お茶の表面に絵を描くという技法があり、いま、それを再現しようと研究が行われています」
宋代のお茶は抹茶である。当時、どのように絵を描いていたのかが今ひとつわからず、試行錯誤が続いているのだそうだ。日本の茶道でするように、泡立てた抹茶に絵を描くのだろうか?
声をかけてきた人は、曹建南と名乗った。
曹先生は、上海師範大学の副教授。大阪の国立民族学博物館に客員研究員として滞在しながら、各地を実地に足で歩いているという。日本でいえば、フィールドワークを重視し、やはり自分の足で歩いた宮本常一のような民俗学者ということになるのか。東海道線島田駅前に立つ栄西像(留学先の宋から茶を伝えたと言われている)を観て新金谷駅にやってきた、これから金谷の町の背後にそびえ立つ牧ノ原台地の上にあるお茶の博物館「お茶の郷(さと)」に行くのだという。
曹建南先生のフィールドワークスタイル。使われているノートは、コクヨの「測量野帳」だ。私も大好き。(GXR A12 28mm)
さらに曹先生と私、そして茶娘の「おねえさん」たちは、尖閣問題についての意見を交換した。その詳細はここでは控えるが、両国の報道や、ネットで声が大きな意見とは違う方向になったとだけお伝えしたい。私自身は、
「両国の抱える問題性は、ずいぶん似ているところが多いな」
という印象を持った。曹先生は、自分の日本についての論文が、中国の学術雑誌に載せられる予定だったのが尖閣問題のせいで延期されてしまった、と笑っていた。
曹先生に白井氏を紹介した。
「日本で産業遺産の意義を認め、保存・活用を手がけたパイオニアであり、大井川鐵道に蒸気機関車が保存されているのは、白井氏の仕事である」
産業遺産、という言葉がわからないようなので、彼のノートに字を書いて説明した。
すると、曹先生はこう問うたのである。
「古いものを保存するのはいいが、ものだけなのか。保存対象に宿っていた精神まで保存することは考えないのか」
待ち望んだ質問だ。
「運転技術、保守技術も合わせて保存することで、初めてSL保存は続けることができる。これは、〈近代の精神〉を保存していることにほかならない。また、大井川鐵道では、SL列車の乗客と沿線住民とが互いに手を振り合うことで、近代文明の象徴である蒸気機関車に当時の人たちが抱いた憧れや、昔ながらのコミュニケーションの方法が保存されているのです」。
「中国でも、古い機械などを保存し、その技術を継承することで、世代間のコミュニケーションギャップをなくそうという狙いの政策が行われています」
なるほど、そんなことが。いま中国の歴史教育は、領土問題や日中間の歴史認識に限って伝えられるが、これは新しい角度の情報である。社会の統合を世代間の結合を強めることで確保しようという政策だろう。尖閣問題の裏には欧州金融危機をきっかけとした中国経済の大きな曲がり角があることを考え合わせると興味深い。
中国では最近、大規模な鉄道博物館の整備が相次いでいるようだが、その意味はここにあったのか。「上から号令をかけて産業遺産への理解を深めさせる」という浸透力は、いまの中国社会でどれほど発揮されるのだろうか。
SL列車発車。お互いに手を振り合う。(GXR A12 28mm)
ちょうどこの日最後のSL列車が発車。曹先生と白井氏と見送った。
曹先生の専攻は中国の土俗宗教で、このテーマの論文発表には苦労もあるようだった。私も石仏研究家だったこともあるので、情報交換を約して、曹先生は金谷行きの電車に乗って行かれた。
旅行者と地元の人と、そして外国の人との新しい出会いがあり、産業遺産の話のみならず、未来志向の話もできる。これらはみな、蒸気機関車の動態保存という、産業遺産の保存、そして、This is Cafeの、ラテの泡でSLの絵を描くという、新しいカフェ文化の提案をきっかけに拡がった世界なのだ。
大井川鐵道に来て、人と話をすれば、こんな体験をすることができる。
産業遺産保存は、未来志向なのだ。
話はこれで終わらないた。
東京に戻ってから、曹先生の「もうひとつの実績」を、私は発見したのだ。
なんと、曹先生は、『電車男』の中国語訳者のひとりだった。
これにはさすがに驚いた。
現代に生きる民俗学者の面目躍如である。見習わなければ。
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