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2017年4月15日 (土)

鉄コレ箱写真の謎⑤「昭和19年、運輸通信省の奇妙な命令」

 アメリカで1920年代末から展開された駆動装置の技術革新、それがわが国に波及されなかった理由について考えてきました。

 日中戦争が始まり、アメリカ・イギリスなどは敵性国家となり、ここで電鉄技術の最新情報は途絶えてしまいます。ですから、「わが国における分離駆動の導入は戦後になってから」が正史です。
 ところが、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年の日本で、分離駆動への動きがひょっこり顔を出します。

「資材節減電車を作るため、市街電車用動力伝達方式を共同して研究・試作せよ」

 1938(昭和13)年の国家総動員法を根拠にした「総動員試験研究令」として運輸通信省(現在の国土交通省)から技術開発の課題が発布されました。名宛人は車両メーカー、電機品メーカーと思われますが、その中に「高速電動機を使った分離駆動の電車の開発」というテーマが入っていたのです。いったい、どういうわけでしょう?

 その理由は、いまとなってはわかりませんが、2つの可能性が考えられると思います。当時の総力戦体制の中では軍需産業への輸送が最優先課題とされ、工業都市の市内電車は、勤労動員でふくれ上がる工場労働者輸送に追われていました。たとえば、航空機産業を中心に軍需工場への通勤輸送を担っていた名古屋市電では、連接車2600型の中間にもう1車体を増やして、3連接車を作る計画を立てていました(実現前に終戦を迎えています)。その打開がひとつ。
 また、このころは電車用の低速電動機の製造や保守が資材の逼迫で難しくなっており、汎用の高回転電動機を電車の駆動装置に利用しようという発想だったのではないかと思われます。いずれにせよ、運輸官僚の中に、分離駆動の技術動向をつかんでいた人物がいたということを表しています。

 戦局も末期になってから泥縄式に出されたようにも思えるこの技術課題がどうなったのか、それはわかりません。実質的には何も進展しなかったのではないかと思われます。

 戦争が終わると、高性能車へつながる技術開発がわが国でも盛んになり、分離駆動への取り組みが一気に進みます。いよいよ、鉄コレ1700系(原形)の箱写真に写っていた、直角カルダン台車を履いているはずの東武5720形の台車が、なぜイコライザ式のつりかけ台車を履いていたのかという問題の謎解きにもなっていきます。

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