« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年3月

2017年3月25日 (土)

鉄コレ箱写真の謎③「PCC カーと直角カルダン」

Eacagabd

 Cederさんのご厚意で、PCCカーの図面をお寄せいただきました。PCCカーは、アメリカの路面電車事業者が集まって作られた委員会で、「自動車に対抗できる路面電車を」というテーマで共同開発を行ったものです。
 その結果開発されたPCCカーは、駆動装置、制御装置、ブレーキ装置のみならず、台車や流線型の車体に至るまで、全ての要素に革新がもたらされたことがおわかりかと思います。図面には「A7CLASS」とあり、各事業者は自社に合った設計をレディメイド的に使用することができました。

Gr020623
 この都電5500形は、現在荒川車庫に保存されて公開されていますが、PPCカーの機器のみならず、車体、すなわち全体に大きな影響を受けていることがよくわかると思います。

 モーターの小歯車と車軸の大歯車を直接かみ合わせるつりかけ式を「直接駆動」と呼ぶのに対して、モーターを台車枠からバネ吊りにして車軸から分離し、ユニバーサルジョイントを介して、密閉したギアボックスの中で、伝導効率のよいヘリカルギアあるいはハイポイドギア(ねじり傘歯車)に動力を伝達する直角カルダン方式と、ほぼ同時期に生まれたWN駆動(台車枠に装架したモーター軸とピニオンギア(小歯車)軸の間に変位を許容するWN継手を入れ、車軸の大歯車とピニオンギアをすき間なくかみ合わせて伝導ロスと騒音をなくした)は「分離駆動」と呼ばれました。

 直角カルダン方式は、競争相手と目された自動車の駆動方式をヒントにした機構であると言われています。つりかけ式が、軸上のモーターが振動で変位するのをすき間をもたせた歯車の噛み合わせをグリースで潤滑させるのに対して、歯車を密着させ、しかも油を満たした密閉のギアボックスの中で駆動させる直角カルダンは、伝動効率がよく、また騒音も低いメリットがありました。

 しかし、アメリカで1930年代に直角カルダンとWN駆動という分離駆動方式が普及して技術革新が成ったのに対し、日本でこのレベルに達したのは戦後しばらく経ってからのことでした。アメリカのGEと提携関係にあった東芝の直角カルダン試作車が小田急を走った「相武台実験」が1951年、翌年に試作国鉄キハ44000形、1953年には東武5720形が初の直角カルダンを採用した量産営業車として登場、PCCカーのライセンスを購入して都電5500形が作られたのが1954年。WN駆動を採用した営団丸ノ内線300形が1953年、翌年には東急5000形が登場しました。

 なぜ、分離駆動方式がすぐ日本に波及しなかったのでしょうか。(つづく)


2017年3月 8日 (水)

鉄コレ箱写真の謎②「5720型直角カルダンのルーツを求めて」

 鉄コレ1700系(原形)の箱に印刷されている、直角カルダンでデビューしたはずのモハ5720型の台車が、つりかけイコライザ台車に換装されていたお話。写真の謎解きをする前に、まず直角カルダンとはなにか、というお話をしましょう。

 つりかけ式駆動は、車軸の上にモーターを乗せ、モーターの軸にはめられたピニオンギア(小歯車)と車軸の大歯車を直接噛み合わせていました。シンプルで故障の少ない機構ですが、走行すると台車は振動しますから、ギアの噛み合わせにすき間を与える必要があり、それが大きな駆動音(いわゆるつりかけ音というやつですね)となっていたのです。Wikipediaの解説をこちらに貼り付けておきます。

Dsc_1083
東武7800系→5050系に使われていたTDK-544型モーター。手前のU字形の溝が車軸に乗ります。

Dsc_1076
TDK-544型モーターの軸に取り付けられているピニオンギア。

 この欠点を改良しようという動きが、1920年代のアメリカで生まれました。当時全盛期を迎えていた路面電車の近代化を狙って開発されたPPCカーです。スムーズな加速を得るための100段にも及ぶ超多段制御器、そして直角カルダン駆動、弾性車輪を用いた台車、効きのよい電磁直通ブレーキ、レール吸着ブレーキ、ワンハンドルマスコンなど、電鉄技術の画期といえる車両でした。

(Cederさん、ここにPCCカーの写真を入れたいと思います。適当な写真を頂けないでしょうか?(笑))

 直角カルダンは、つりかけ式がモーターを車軸の上、すなわち枕木方向に置くのに対して、小型モーターをレール方向に置いて、自在継手を介して軸につけた傘歯車を車軸に取り付けた傘歯車とかみ合わせて駆動させる方式です。Wikipediaの解説をこちらに貼り付けておきます。

 自在継手が振動を吸収するので、傘歯車は変位することなくぴったりと噛み合います。それゆえ、つりかけ式より伝導効率が高く、静かな走行音が得られるのです。

 次回は、アメリカで1920年代に爆発的に普及した直角カルダンを含めた新しい電車のフォーメーションが、なぜ日本で取り入れられるのが遅れたかについてお話しましょう。(つづく)

2017年3月 6日 (月)

鉄コレ「東武1700系セットA」箱写真の謎①「57の台車が違う」

 ちょっと前のお話をしますが、
 みなさん、お気付きでしたでしょうか。

Img_2757

 昨年12月に発売された、鉄コレ事業者版東武1700系。登場時、冷房改造、即窓固定・前面強化・ヘッドライトシールドビーム化の3種類が発売されました。

Img_2758

 なかなかよい出来だと思いますが、実はこれからするのは「箱」の話です。

 新製当時の原形車のパッケージ写真に、ものすごく珍しいものが写っているのです。
 フタを開いて左下、新製されて西新井工場に到着したてで、整備にかかろうというばかりの1700形が写っています(花上嘉成東武博物館名誉館長撮影の写真と思われます)。実は、これからするお話は、1700ではありません。

Img_2762_1

 その後ろに、旧型車が写っているのが見えます。窓割から先代の特急車、5700系であることが明らかですが、履いている台車にご注目ください。57形が使っていないはずのイコライザ台車。いったい、どういうことなのでしょうか?

Img_2762

……実はこの写真、はからずも戦後電鉄技術の試行錯誤を物語る「貴重な証人」なのです。

 1951(昭和26)年に戦後初の特急車として登場した流線型ネコひげの5700型と、前面が半流線型の5710型がデビューします。駆動方式はつりかけ式、台車はモハ・クハとも住友金属(当時はGHQの財閥解体の指示で社名が扶桑金属)FS-106ゲルリッツ台車を装備していました。

 1953(昭和28年)には、新たに5720型が登場します。半流線型の車体は5710型と同じですが、走り装置は営業用としては日本初の直角カルダンを装備した東芝TT-3型台車が採用されました。鉄コレパッケージの写真は、この5720型と思われます。

Img706

 しかし、本来5720型が履く台車は、上の写真のように、湘南電車のDT16によく似た軸バネ式のTT-3です。これです。では、なぜパッケージの写真ではイコライザ台車を履いていたのでしょうか? そもそもなぜ、私はこれを5720型と断定できるのでしょうか?

 5720型の、日本最初期の直角カルダンは故障が相次ぎ、動力機構を分解しての修理が続いていました。しかし、当時は車両に余裕がなく、車両ごとの運用離脱ができない。そこで、古いつりかけ式イコライザ台車を履いて営業運転に出ていた、おそらくこれが唯一残された写真ではないかと思われます。

 故障はどうして相次いだのか、このイコライザ台車の出所はどこか? これから解き明かしていきたいと思います。(つづく)


« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2020年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30