鉄道ピクトリアル「東武8000系特集」
で、早速買い求めました。
素晴らしい特集です。「東武8000系のすべて」が盛り込まれていると言って過言ではないと思います。
花上嘉成東武博物館名誉館長による「東武鉄道8000系を省みて」は、8000系登場までの東武の車輌計画を初めて明かし、昭和37年から計画が二転三転していたこと、それは東京オリンピックをにらんで、新幹線や国鉄車輌の大増備のなか、製造遅れを懸念して早期発注をするためだったという事情が明かされています。これは初めて出てきた事実で大変興味深いものです。
ただし、私はこの頃の名鉄車輌史を追っていて、パノラマカーを増備していた当時の車両部の資料を見ているのですが、そのような動きをしていたという事実には行き当たっておりません。東武車を作っていた日車蕨と名鉄車を作っていた熱田工場、それぞれ新幹線車両を作っていたはずです。名鉄の事情について、詰めてみたいと思いました。
また、8000系は計画段階ではステンレス車体で構想されていたという話は、ピクトリアル「私鉄高性能車特集」で花上さんが明らかにしたところですが、通常、新車を作る際には3案ほど検討されるはずで、それ以外の構想に何があったのかについて知りたいところです。
粂川零一さんの「東武8000系のプロフィール」は、大変な労作です。20年にわたって712両製造されたバリエーションと、その後の修繕工事でさらに多岐にわたることになったバリエーションを年代ごとに番号を振ってまとめ、変遷表も相まって全貌が把握できるもの。8000系を体系付けた決定版と言えると思います。また、記事中に掲載されている林智春さんの一連の写真は、西新井工場での冷房改造の模様をはじめ、80年代東武のトピックスをいろいろ思い起こさせるすばらしいもの。よくもここまで記録されたものだとつくづく感服しました。
東武8000系についての決定版といえるこの特集、ややもすると模型ファンは外見のバリエーションがわかる記事のみを評価しがちですが、車両設計したり保守点検したりする現場では、そのことに無関心である、つまり意味がない、ということが本職の方々と話していて痛感させられるところです。模型誌ならそれでいいかというと、そうは思いません。ディテールを語るだけでは片手落ちなのです。
ひとつの車輌系列史として、生まれる背景、できあがった車輌がどうしてこうなったかという必然性、使用状況による変遷、一生を終わるまでを解説しきった、まさに王道の特集と言えると評価します。東武ファンであろうとなかろうと、新しい車両史の叙述として必読の特集であることは間違いありません。
« 東武3000系の「中抜き」2両固定 | トップページ | 【次の記事で訂正あり】鉄コレ東武ED5010発売と「避雷器の位置について」 »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« 東武3000系の「中抜き」2両固定 | トップページ | 【次の記事で訂正あり】鉄コレ東武ED5010発売と「避雷器の位置について」 »
知らんかったー!あした買うー!
投稿: アナル犬機 | 2016年1月24日 (日) 22時12分
アナル犬様
お身体いかがですか。ご自愛ください。
投稿: 低N | 2016年1月25日 (月) 08時17分
僕の人生 日常そのまま
投稿: 8進取半蔵 | 2016年2月11日 (木) 11時32分
>また、8000系は計画段階ではステンレス車体で構想されていたという話は、ピクトリアル「私鉄高性能車特集」で花上さんが明らかにした
と言うよりは当時都営地下鉄三田線と東武東上線とが相互乗り入れする計画があったのですが、8000系のステンレスバージョンはそこへの乗り入れ車両として検討されたと言う説があります。
投稿: あっしゅ | 2018年6月 2日 (土) 00時29分