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2015年12月

2015年12月24日 (木)

東武3000系の「中抜き」2両固定

東武3000系は2両固定と4両固定とがあります。
2両固定は上り方からモハ3500+クハ3600、
4両固定は     モハ3100+サハ3200+モハ3300+クハ3400
と付番されています。

更新当初、4両固定が予定されている編成も、モハ3100+クハ3400の2両固定で出場し、営業運転に入っていました(更新当初は違う番号体系の付番でしたが、複雑になるので説明は省きます)。後からサハ+モハの中間車を作って組み込み、4両固定を完成させていました。
これは、当時、高度経済成長で年間10%も乗客数が伸びていた時代なので、4両固定ができあがるまで遊ばせておくヒマがなかったものと考えられます。このような更新のやり方は、3050系、3070系も同じでした。

3000系列は機器配置が2両ユニット単位で、4両固定になるとモハ+サハ、モハ+クハに分かれるのですが、もともと、中間車のサハ+モハを抜けば先頭車のモハ+クハでユニットが組めるようになっています。そこで、野田線の輸送量が増えた昭和52(1977)年から54年にかけて、3000系6両編成を標準とする際に、4両の中間車を抜いて他の4両固定に組み込み6両化し、抜かれた4両固定の先頭車は2両固定とする編成替えが行われました。
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写真の3124編成がそれです。中間車を抜かれ、モハ3124+クハ3424の2両固定となりました。モハ3500+クハ3600の2両固定と同じになったわけですが、改番は行われませんでした。
抜かれた中間車は3123編成に挿入され、モハ3123+サハ3224+モハ3224+サハ3223+モハ3323+クハ3423の6両固定となりました。長編成化のため、ブレーキ管の減圧で作動する自動ブレーキの効きが悪くなる対策として各車に電磁弁を搭載、非常ブレーキの際には電磁弁が作動してタイムラグを短くする改良が行われています。

2015年12月20日 (日)

東武3050系の拡張運転室、その実際

前回は、鉄コレ東武3000系と3050系とで、後者の運転室拡張にともなって乗務員室扉が前面から後退した模様が作り分けられているというお話をしました。

3000系は前年に登場した8000系と同じ1113ミリの奥行きの乗務員室(三面折妻構成なので、一番奥行きが長い貫通扉基準)を持っていましたが、狭いと苦情を受け、まず8000系が昭和44(1969)年の8152編成から運転台側のみを400ミリ後ろに拡張し、1513ミリとしました。そして2年後に更新が始まった3050系も、同じ仕様となったものです。

それでは、実際に見てみましょう。
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小泉線運用に入り、館林駅停車中の3152編成です。

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車内の仕切りは、このように、運転台側のみ段がついた格好になっています。乗務員室直後の吊り手は車掌室側のみで、運転台側にはついていません。8000系拡張車も全く同じ形態です。

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車外から見ると、床面にある電動機点検用のフタも、運転台側のみ短くなっているのがわかります。この角度から見ると、運転室の張り出しが目立ちます。旧型国電の半室運転台をちょっと思い起こさせますね。

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ちなみに客室側。側窓や扉の数を除いて、8000系非冷房車と見付はほぼ同じです。

しかし、8000系の拡張運転台時代は長くありませんでした。昭和46年に登場した冷房車8156編成からは、乗務員室全体を1333ミリの奥行きにして再びフラットに戻し、昭和48年から開始された冷房改造の際に、この仕様に統一させたからです。冷房改造は昭和58年まで続き、8000系拡張運転台の段つき仕切りは姿を消しました。

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その影響は3050系にも及んでいます。更新の最終段階では写真の3563編成のように、1333ミリに統一されてフラットな仕切りになりました。

運転台拡張といえば、こういう改造車もありました。
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昭和45年に起きた、ダンプカーとの踏切衝突事故「花崎事故」で被災したモハ7865を復旧させた際に8000系と同じ高運転台とし、合わせて運転台を拡張しています。この写真の反対側になりますが、乗務員室すぐ後ろの客窓をつぶし、運転台側の乗務員室扉を下げてありました。


2015年12月18日 (金)

鉄コレ東武3050系

もう昨日ですね。鉄コレ事業者限定、東武3000系/3050系が発売になりました。
「東武ファンフェスタ」の先行販売では、私は3000系しか買わなかったものですから、3050系を浅草駅の売店で買ってきましたよ。

3050系は、それまでのデッカー制御器に代わり、昭和8(1933)年から導入した日立の電動カム式制御器(PR)を使用した電車を更新したもので、特急車デハ10系が戦時中にいったん全車普通車に格下げになり、戦後特急車として復活しなかったグループ、デハ10系の普通車として増備されたグループ、そして、デハ10系のうち特急車として復活したグループは制御器を国鉄CS-5に振り替えましたので、そこから外されたPR制御器を玉突きで装備した電車群が該当します。更新前の車号でいえば、モハの百位の数字が「4」が更新されたのが3050系です(3000系のデッカー制御器は「2」です)。

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早速鉄コレを見てみましょう。モハ3550はKS-31L台車を履いています。3000系モハと同じですが、形態的にはKS-33Lのほうが似ていますね。

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クハ3650です。こちらはTR-11を装備しています。更新前のクハは木造客車の鋼体化が多かったので、実際にも多かった組み合わせです。

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3000系(下)と比べてみます。相違点は3050系では運転室を拡大しているので、乗務員室扉が後ろに下がっています。また、3000系では3連の客室窓の上端左右が丸みを帯びていますが、3050系では丸みがありません。もう少し丸みをつけてもいいのではないかと思うのですが、ガラスパーツが3050と共有されているため、この程度が精一杯なのだと思われます。

また、3050系新塗装にある乗務員室扉後ろの「乗務員室立ち入り禁止」表示は、3000系セージ塗装、3050系セージ塗装にはありません。これは印刷忘れではなく、実際にセージ時代の3000系列には入っていなかったのです。当時8000系には入っておりましたので、なぜなのか、少々計りかねるところがあります。

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前回、3000系のご紹介の時は気付かなかったのですが、セージ塗装と新塗装でクハのホロが作り分けられています。セージ時代はホロの両脇のマジックハンドのような支えや、下部両脇に張り出した、ホロをつなぐときに相手の車のホロ枠に食い込まないように配慮された繭状の板が表現されているのですが、昭和50年代なかば以降は、それらがなくなったスッキリした外観のホロに取り替えられます。その違いが表現されているのです。驚きましたね。

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では、実物の台車と床下機器を見てみましょう。
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モハ3557です。前回のモハ3125と反対側から見ています。機器配置は基本的に同じです。
この車は昭和17(1942)年製のデハ1204、デハ10系の一般車版であるデハ12系の一両として生まれ、台車は日本車輌D-18を履いています。鉄コレ台車ですと「U型」と称する台車に似ているものがありますね。中央に吊られている制御器カバーには日立のマークが浮き出しています。
反対側には抵抗器が吊られていますが、3000系が4個であるのに対し、3050系は5個になっています。

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クハ3657は、もとは大正13年に造られた木造客車ホハ1です。昭和8年、木造車体のまま電車用の引き通し線を装備して、モハ・クハの真ん中に挟まるサハ42となりました。昭和25年、鋼体化されてサハ73に、昭和36年、運転台がついてクハ544となりました。台車は客車時代からのTR-11です。

左側に蓄電池箱が2つついていますが、左側は種車の木製のものが流用されています。右端にはMGが吊られています。非冷房なので小型なものですね。

3050系は一部は野田線に、大部分は更新前に所属していた館林検修区に配置され、地味なローカル輸送に終始しました。

2015年12月17日 (木)

鉄コレ東武3000系の、台車の話

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暑い夏。窓をいっぱいに開けた電車。野田線で撮った、私が気に入っている3000系の写真。
だけど、ひまわりに隠れて、3000系っぽさが出ていないですね。

東武3000系は、昭和2(1927)年〜4年にかけて造られた、デハ4〜7型と呼ばれ、戦後は3210形と改番されたイングリッシュ・エレクトリック(旧デッカー社)製「デッカータイプ」と呼ばれる制御器(東武で使われたのは、すべてライセンス生産の国産制御器)が使われた電動車と、同時期に作られた付随車、あるいは木造客車を戦前・戦後に鋼体化した付随車を、昭和39(1964)年から8000系とほぼ同じ構造の、18メートル級3扉の軽量ボディーを台枠から新造して車体更新した電車です。

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「デッカー」といえば、コレ。小さな一段窓が並び、車体裾が切れ上がっていて台枠が見えるクラシカルなスタイル。両運転台で、非貫通の3枚窓の正面が有名ですが、こちらは貫通扉つきの副運転台側。運転台は貫通路をはさんで右側にあるのが特徴です。この、モハ3227(昭和3年日車製)が更新されて、

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この車、モハ3125になりました。流用されたのは台車、主電動機(DK91/B、97kW)、主制御器、主抵抗器、電動空気圧縮機(CP)などに限られており、この写真からも、それ以外の機器箱が新しいのがおわかりになると思います。制御器が4つのモーターを制御する(1C4M)ので、2両固定の場合はモハ+クハで一単位、クハには電動発電機(MG)とCPが積まれています。4両固定ではモハ+サハ+モハ+クハのうちモハ+サハ、モハ+クハでそれぞれ一単位を構成していて、東武でいえば、モハ1両に主要機器を集中させていた旧型電車スタイルから、モハ・クハを一単位の固定編成として機器を分散させた、モハ7820系の機器構成とほぼ同じといえます。

しかし、車体や機器類が新しくなった以外は、種車の台車、電動機、車体中央にブレーキシリンダを置いて、テコとロッドで両台車にブレーキ力を伝える車体ブレーキなど、基本的な機構と性能は旧型車とまったく同じ。ほぼ同時代に生まれた小田急4000形や京王5070形など、台車を含めた新しいディメンションの一部に旧車の電動機が使われて吊り掛け駆動になっているのとはまったく異なり、車体だけが新しくなった「更新車」なのです。

3000系列は他に「PR」と呼ばれる日立製制御器を搭載した3050系、国鉄CS-5制御器を搭載した3070系がありますが、機器配置は基本的に標準化されています。外観を際立たせているのは台車の違いで、まさに大正期から戦後の技術革新前夜までの私鉄台車博物館の様相を呈していました。

きょうは、鉄道コレクションの事業者限定3000系、3050系の発売日です。それを記念して、鉄コレの台車を解説してみます。

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モハ3100型とモハ3300型が履く住友金属の釣合梁(イコライザ)鋳鋼台車KS-31Lです。昭和30年代までその名を轟かせた「鋳鋼台車の住金」のルーツともいえる台車です。
同じ形式名が私鉄各社に存在しますが、実は各社で部材の形がやや異なっており、東武の同型台車の中でも微妙な違いがあります。この台車は鉄コレの小田急1600用に作られたと記憶していますが、枕バネの上の台車側梁が少し厚めに表現されているため、阪急900型のKS-33Lに見えてしまうのが残念。台車枠をほっそりさせて、軸バネをもう2巻き多くするとバッチリなんだけどな……。

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サハ3200が履いているのは、TR-11です。東武では、昭和16(1941)年から大正時代の木造客車を鋼体化してクハ・サハにしましたが、その際種車の客車についていたものと、さらに旧い短軸台車を置き換えるために、戦後国鉄から大量に払い下げを受けて履き替えたものとがあります。標準軌への改造を見越した長軸台車なので幅が広く、「球山形鋼」という船舶用の形鋼を天地逆さに使った、分厚い台車側梁が特徴で、乗り心地が非常に堅い台車でした。

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クハ3400は、KS-30Lを履いています。これは、デッカーモハ3227の一族よりもさらに一世代旧い大正15年製の電車で、車体や台車は電車のスタイルですが、当初は蒸気機関車に牽かれる客車として造られました。戦後はモハ2200型と呼ばれていました。戦後、運輸省から20メートル4扉の63系電車が割り当てられた際にその代償として地方私鉄に譲渡された車が多いので、少数派の台車です。3000系廃車の際にも早期に淘汰されました。初期ボールドウィン・タイプの電車用イコライザ台車の特徴である、華奢な軸バネが2本ずつ並ぶのがちゃんと再現されているのがたまりません。この台車も、鉄コレの地方私鉄電車の流用だったと思います。

3000系の前身であった「デッカー」系列は、昭和初期の当時としては破格の、80両近くの電動車が一気に新製されました。そんな事情から、モハはほとんどKS-31L台車に統一されていますが、サハ・クハには非常に多彩な台車が使われていました。鉄コレに使われている台車は、ほんの一例に過ぎないのです。


2015年12月14日 (月)

鉄コレ東武3000系

というわけで。
東武ファンフェスタでやはり買ったわけです。
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こんなマイナー車両まで製品化されるというのはスゴイですね。
東武独特の貫通ホロなど、ちょっとゴツイとは思いますが、ここまで再現しようとする労力がスゴイです。8000系原形を事業者限定で出したときは、ホロなしの8100型しか出さなかったから、初お目見えというわけですね。ホロの下部両サイドについている繭のような出っ張りや、両サイドにマジックハンドのように見える垂れ下がりを防ぐアームなどは、東武独特のものです。
ちなみにホロの右側が折れてしまっています。酔っ払って箱から取り出した瞬間に落としてしまったので、そのときに折れたのか、最初から折れていたのか不明。

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東武3000系統は、制御器基準で番台が分けられています。旧デッカーの一族を更新した3000系は、一番最初に更新されたため、運転室が狭くて乗務員扉が続く3050、3070系に比べ前面に寄っています。そのため、全体がコロンとして見えるのが特徴。それをよく掴んでいると思います。

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ホロなしの3100型。お面は8000系と同じですから、当然型も同じ。方向幕と種別幕窓をもう少し小さく作ってくれていたら、決定版となるようなプロポーションのよさですが……。

というわけで、次回から実物のご紹介をしたいと思います。
ご挨拶代わりに、お茶目で有名な3000系統の種別窓、「回 転」をご覧に入れましょう。3000系の種別窓は(8000系も昭和40年代末までそうでしたが)、数字を出せるように3分割されており、それぞれの桁を回すようになっていたので、「回 送」と「試運転」がごっちゃになってこういう表示が出ていたというわけです。グリーンマックスクロスポイントで製品化されたとき、たしかステッカーで再現されていましたね。
ちなみに行き先窓にはふたつの穴が開いた幕が表示されています。実際に穴が開いており、ここから手を入れてガラスを内側から掃除するのに使います。この次のコマには、中央にひとつ穴が開いております。
よくできていますね(棒)。

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とうとう東武ブログになってしまった。

2015年12月11日 (金)

水害に苦しんだ野岩鉄道、本日から全線開通

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9月の関東大水害の痛手からまだ立ち直れない鉄道がありました。
東武鬼怒川線の新藤原と会津鉄道の会津高原尾瀬口を結ぶ第三セクター野岩(やがん)鉄道。ふだんは観光路線ですが、東日本大震災の際に壊滅した東北新幹線や常磐・東北線に代わって東京から会津経由での、福島への唯一のルートとして大活躍していたのは知られざるエピソード。計画停電で首都圏の鉄道がマヒする中、東武がいち早く特急を1往復再開したのは、野岩鉄道・会津鉄道にリレーして形成される福島救援ルートづくりのためでした。

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今回の水害で、かつてない降雨量だったのが野岩鉄道の沿線です。東京電力の送電鉄塔が根元から傾いてしまい送電線が断線。電力の供給が大幅に少なくなってしまい、時間1本ある電車は途中の上三依塩原温泉口止まり。それ以北は一日5往復のみ、電気を使わない会津鉄道のディーゼルカーに乗り入れてもらって接続している半身不随状態が続いているのです。途中駅で打ち切りとなるので、浅草発の直通区間快速列車には行き先が出ていません。車内の表示も白のままで、途中の下今市で日光と鬼怒川・会津田島方面に切り離しがされるので、乗客は自分の乗っている車両がどこ行きなのかわからず混乱が続いていました。

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「東武ファンフェスタ」に野岩鉄道はいつもブースを出しているので覗いてみたところ、部内用や乗客の案内に使われていると思われる時刻表が復旧のプロセスごとに売られていたので、全種類を求めました。「今年は野岩さんで何か買わなきゃ、と思って」と言ったら、大層喜んでいただけました。

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レールを切った文鎮も売っていました、しかし、ちょっと不思議だったのは、野岩鉄道はもともと国鉄線としての開業を予定し鉄建公団が建設中に、経営悪化で宙ぶらりんになり、その打開策として第三セクターとして開業、東武の培養線となった経緯があります。すなわち、線路は国鉄の幹線規格で作られているので、こんな細いレールがあるはずない。「どこのレールですか?」と聞いたら、「保守用のトロッコを載せているレールです」と。

もう、なんか売れるものは身を切っても持って来ているという感じで、「がんばってください」と、これも買ってしまいました。
年間通して最も利用が多い紅葉シーズンは間に合いませんでしたが、野岩鉄道の全線復旧が果たされました。利用者減にあえぐ中、東武「スカイツリートレイン南会津」の乗り入れや会津鉄道列車の定期乗り入れなどの努力もなされています。一度、冬の会津を見に行かねば。

2015年12月 9日 (水)

東武100系スペーシア「トマソン物件」

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東武バスもだんだんわかってきて、お茶目な幕を出すお遊びも。

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こんなゆるキャラもできていたのは知らなかった。

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お尻にはナンバープレートもつけています。でもそこは屋根なんじゃないか?

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工場見学はいつも楽しみ。

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8000系に使われている制御器に電制を付加した300系の制御器の精巧な動きを見たり、

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これなんか、ものすごくよくできたブレーキの教材です。

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子どものブレーキ体験だけに使っているのはもったいないぐらい。

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でも、鉄道ファンはこういうのが好きだよね。一番人だかりがしているコーナー。

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モケーファンは、こういう破廉恥な写真を撮って喜びます。

SATTE!
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工場見学の醍醐味は、車両をふだん見ることのできない角度から見ることにあります。

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100系スペーシアの妻面の配管は結構ボリューミーに盛り上がっていますが、この角度から見ると、妻板からステーを出して支えていることがわかります。

い!?
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この点検蓋は、いったいどうやって開けたらいいのでしょうか?
用をなさない物件「トマソン」(@赤瀬川原平)を見つけてしまった!!!!!

2015年12月 8日 (火)

東武ファンフェスタに行った

6日の日曜日、南栗橋車両管区で行われた恒例の「東武ファンフェスタ」に行ってきました。
前日まで北のほうで仕事をしており、車で移動していました。会場周辺は田畑が多いので、道路に路駐するヒトが多いのですが、それはいやなので一駅先の栗橋駅西口の駐車場に車を止め、駅前からタクシーで会場前まで行きました。1050円。

近年、入場者が増えて会場直後では入口に長蛇の列ができていてうんざりするので、昼頃行くことにしています。各種の列(笑)が解消し、比較的楽に見ることができます。

だが、撮影会の列だけは避けようがありません(笑)。
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人数を区切って、15分制限で撮影させて入れ替えています。2グループ手前に区切られたので30分待ちました。以前はこのような仕切りはしておらず、最初の頃はまったりしていてよかったのですがヒトが増え、東武側もネタになるような塗装をやるようになると、ぜんぜん近づけないという事態が起こるようになりました。8111編成がベージュとオレンジのツートンになった時はパニックで、大きなお友達がおしくらまんじゅうするせいで、子どもが全然見られないという事態が起こりました。周りで「見えない」とぐずっている小学生のカメラを軒並み借りて、頭上にかざして撮影しては渡してやったことがあります。だから、よいことだと思います。

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上りのスカイツリートレインがすぐ脇の本線上に停車してびっくりしました。乗客に展示編成を見せてサービスしようというのか、それとも、珍獣が行列しているのを見せたかったのでしょうか。いやー、東武もこういうサービスをするとは変わったものだと感心していたのですが、

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帰宅して写真を拡大したら車掌が窓から顔を出して前方を見ていますので、南栗橋駅のホームが空かずに機外停車していただけなのだとわかりました。

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順番が回ってきて撮影開始。最初はロープの規制線を遠くに張って全景を撮影できるようにし、次に近くまで寄れるような配慮がされています。

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近くまで寄れるようになりました。人数制限されているとはいえ、好ポジションにはヒトが密集して普通には撮れません。今年、一眼レフを買い換えて、液晶モニタが動かせるタイプになったので、ほとんど頭上にかざして撮っています。便利でした。
今回の目玉である8198編成「フライング東上」復元塗装は、コダクロームでいい状態で残っている写真を見るに、やや黒みが強い感じでもう少し明るくていいのではないかと思いましたが、いずれにせよいい線行っていると思いました。ツートンの8111編成は、登場から2年、いい具合に色褪せてきました。

おそらくマッハ模型の塗料のせいでみなさん誤解しているのですが、オレンジベージュ塗装のベージュ色は、DRC1720系や快速6000系、57系の「ロイヤルベージュ」とは違う色です。「ベージュ2号」という色だと聞いたことがあります。ロイヤルベージュに比べ、やや赤みがかった色と感じています。最初にツートンの復元をやった東上線ではロイヤルベージュに塗ってしまったのですが、この8111編成は正しい色です。褪せてくると、色の違いがわかってきますね。

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元急行「りょうもう」用1800系は、日光急行用300系となって、種別の整理で特急に格上げされるもの、まさかの1扉通勤車になるものなど物凄い変転を経ています。最初に改造されて回着した300系を見に行って、あまりの変わっていなさに激しく落胆したのを覚えていますが……。
おそらく来年やってくる新特急車500系で、彼らの運命も大きく変わるのでしょう。

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ギンギンギラギラの「日光詣」106編成。えー趣味悪いな、とガッカリしていたのですが、南海に行ったら「こうや」がもっと凄いことになっていました(笑)。

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スカートの裾に社紋が入っているのに初めて気がついて驚きました。ホームに停車すると見えないので、こういう無益な遊びをするようになったんだーと感慨にふけりましたが、どうやら観光キャンペーンで、「社紋はどーこだ?」みたいな、クイズをしていたようですね。

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先に金色になった103編成には、社紋は入っていませんね(8月撮影)。

最後に、なぜかこの写真を撮らなければいけない、という義務感が沸き上がってきたので、撮りました。
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続きます。


2015年12月 2日 (水)

東武DRC1720系現役時代

イヌのおっちゃんが東武博物館のDRCについて書いているので、こちらは現役時代の姿をご紹介しましょう。

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1983年の1720系。列車無線はついているものの、運転席上のクーラーはまだない時代。

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DRC第一編成は1960年の登場ですが、これは1973年製の最終増備車1781編成。屋根上に客室の冷気を運転室に引き込む風洞があるのと、連結器収納部分の当て板にスリットが入っているのが特徴です。

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その頃の車内。これは岩槻公園に保存されている1726号と記憶しています。

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1723号のサロンルーム。ジュークボックスは就役当時より圧倒的に小型化されていますが故障中。末期はたいてい故障して使えなくなっていました。サロンルーム入り口のドアは、昭和50年代は透明でアンバー色のアクリルドア、乗客が突き当たらないように目の高さに三本の白線が入っていました。「サロン Salon」の文字が60年代的ですね。その奥にはHI-Cの自販機。市中で買うよりもかなり値段が高かった記憶があります。

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80年代末になると、西新井工場で修繕工事が行われます。ライトケース部分が覆われていますが、鏡板を更新しました。また、サロンルームを撤去して、そこを座席化しています。バブル時代、だけれどもモータゼリーションが今ほどではなかった頃、座席が取りにくかったことに対応した施策でした。

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後継特急100系「スペーシア」がデビューした1990年、運用に余裕が出た1720系が「大宮市民号」として野田線初入線。この当時、大宮市は日光・鬼怒川特急の大宮始発を要望していましたが、現在はスカイツリートレインが浅草に向かっているのは時代の流れなのかもしれませんね。

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