東武3050系の拡張運転室、その実際
前回は、鉄コレ東武3000系と3050系とで、後者の運転室拡張にともなって乗務員室扉が前面から後退した模様が作り分けられているというお話をしました。
3000系は前年に登場した8000系と同じ1113ミリの奥行きの乗務員室(三面折妻構成なので、一番奥行きが長い貫通扉基準)を持っていましたが、狭いと苦情を受け、まず8000系が昭和44(1969)年の8152編成から運転台側のみを400ミリ後ろに拡張し、1513ミリとしました。そして2年後に更新が始まった3050系も、同じ仕様となったものです。
それでは、実際に見てみましょう。
小泉線運用に入り、館林駅停車中の3152編成です。
車内の仕切りは、このように、運転台側のみ段がついた格好になっています。乗務員室直後の吊り手は車掌室側のみで、運転台側にはついていません。8000系拡張車も全く同じ形態です。
車外から見ると、床面にある電動機点検用のフタも、運転台側のみ短くなっているのがわかります。この角度から見ると、運転室の張り出しが目立ちます。旧型国電の半室運転台をちょっと思い起こさせますね。
ちなみに客室側。側窓や扉の数を除いて、8000系非冷房車と見付はほぼ同じです。
しかし、8000系の拡張運転台時代は長くありませんでした。昭和46年に登場した冷房車8156編成からは、乗務員室全体を1333ミリの奥行きにして再びフラットに戻し、昭和48年から開始された冷房改造の際に、この仕様に統一させたからです。冷房改造は昭和58年まで続き、8000系拡張運転台の段つき仕切りは姿を消しました。
その影響は3050系にも及んでいます。更新の最終段階では写真の3563編成のように、1333ミリに統一されてフラットな仕切りになりました。
運転台拡張といえば、こういう改造車もありました。
昭和45年に起きた、ダンプカーとの踏切衝突事故「花崎事故」で被災したモハ7865を復旧させた際に8000系と同じ高運転台とし、合わせて運転台を拡張しています。この写真の反対側になりますが、乗務員室すぐ後ろの客窓をつぶし、運転台側の乗務員室扉を下げてありました。
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コメント
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貴ブログの東武攻めに、日曜日に押上請地界隈に出かけました。
東武はやはり独特な趣がありますね。次は小泉線に乗ってシェラスコ爆食を企画する予定です。
投稿: Cedar | 2015年12月22日 (火) 18時29分
Cederさん
お返事遅れました。
「なんでそうなのか」を突き詰めて考えてみると、東武の独自性がわかってくるような気がします。長年ファンをやってきたつもりですが、最近ようやく掴めてきました。
ライトな話題か、車両の細かいディテールの話でないと同意してくれる人はあまりいないのでしょうが、ブログなので勝手に書こうと思います。
投稿: 低N | 2015年12月29日 (火) 07時27分
こんにちは。
お写真、大変興味深く拝見させて頂きました。
今の新しい世代の車両は、運転席も大きく広く、事故の際の衝撃を吸収する機構も組み込まれていることもあり、ますます乗務員扉が車体の中央寄りに移っていっています。
古い車両の運転台を改めて見ますと、随分と奥行きが狭く感じられますが、時代と共に、働く人の待遇も考え方が変わるものだと感じます。
運転台の部分だけ後方に広げられたスタイル、これは過渡期の設計と考えるのが妥当なのでしょうか。素人目には左右を行き来する車掌には使いづらいようにも見え、8000系がその後、今に至る形に直されたのも頷けるように感じました。
3000系電車には幼い頃に一度乗ったことがあるはず、写真が一枚だけ残っています。が、残念ながら記憶は殆ど残っていません。
今ならば、写真もたくさん撮るでしょうし、乗り心地や音も楽しむと思いますが、それも、その時代のあり方、私にとってのこの形式は一枚の大事な写真で良いのだろうと思ってもいます。
興味は尽きませんので、こちらの記事で存分に楽しませて頂きます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
投稿: 風旅記 | 2018年2月27日 (火) 16時24分