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2015年1月10日 (土)

ひつじ年に寄せて:やまひつじがいた線路の土手

若い頃、東武伊勢崎線の小菅に住んでいたことがあります。
1974(昭和49)年、北千住—北越谷間の私鉄最長の複々線が一番最初に開業した区間で、延々と高架が延びていますが、小菅—五反野のわずかな区間だけ、高架の前の築堤やレンガ造りの橋台が残っているところがありました。

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東武鉄道は1899(明治32)年に北千住—久喜間で開業しましたが、この付近の路線は開業当時のルートではありません。1924(大正13)年、隅田川の洪水防止のために人口河川である荒川放水路が開削され、鐘ヶ淵—西新井間の路線が変更されて、同時に電化開業しました。残されていたのは、そのときに作られた築堤や橋台というわけです。震災復興建築を中心にした「コンクリートの時代」が迫っており、レンガ造り橋台の最終期と言っていいでしょう。

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その築堤上に、いつも一匹の山羊がいました。
道路を隔てて向かい側に立つ住宅(今で言うならゴミ屋敷)で飼われていた山羊で、築堤上につながれ、草を食べていました。そのおかげで築堤の雑草はきれいに刈り込まれていたというわけです。おそらく、黙認されていたのでしょう。

この頃東武伊勢崎線はバブル景気を受けて混雑が激しく、複々線上には朝ラッシュ時に容量いっぱいの列車を運転して乗客をさばいていました。そんな「戦場」の下に、山羊がのんびりと草を食んでいた事実を知る人はほとんどいなかったものと思われます。

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コメント

これは面白いですね。わざわざ写真撮って流のも素晴らしい。やまひつじ=山羊?

 西武秩父線の武蔵横手(だったと思う)とか、JRの亀戸だかでは、鉄道会社が意図的に飼っていたけど、これはその元祖といえますね。

コメントありがとうございます。
最近、京王や東急世田谷線などでは沿線住民から除草剤に苦情が出て強い薬剤が使えず、線路にボウボウ雑草が生えていますね。ヤギの導入もそれに関連したものだったかと思いますが、この例はちょっと違って、勝手に線路内を耕作するようなものですね。でも、いつも土手がきれいなのでよかったと思います。
FBに書いたところ、「友達」の中に、この時代、付近で工事の仕事をしていて、昼休みにこのヤギと遊んでいた、という人が現れて驚いています(笑)。

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