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2014年12月17日 (水)

東武6000系、最終期の活躍

鉄道コレクション事業者限定「東武6000系」が東武鉄道駅売店で発売になりました。

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(東武動物公園—幸手)
地味な活躍に終始した電車ですので、みなさんにはそれほど思い入れのない電車ではないかと思います。
もちろん主目的は日光・鬼怒川への速達列車であったわけですが、東北人の心のふるさとが上野駅であったように、栃木県の東武沿線住民にとって、浅草駅は上野駅と同じような重みがある駅であり、6000系は東北筋の165系や451系・457系のような長距離急行形電車のような位置づけであったと思います。
つまり、「北へ帰る」電車であったというわけ。
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(小菅)

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(西新井—竹の塚)
ちょっと記憶があやふやなのですが、6000系定期快速の鬼怒川線の行き先は終点の新藤原ですが、かつては「新藤原」の幕がなく、鬼怒川公園で全部代用していました。そのうち、小さく「新藤原」と入るようになり、最終期の数年間は、側面幕は「新藤原 鬼怒川温泉」と2段に書かれ、東武日光行きと併結している場合は、「新藤原 鬼怒川公園 東武日光」と3段に書かれるようになりました。「新藤原」だけでは鬼怒川温泉に行くかどうか乗客が迷うからという配慮だったのではないかと思います。
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(先頭部分を拡大)

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(浅草。国鉄急行形電車とほぼ同じマテリアルですが、扇風機のスイッチやブラック仕上げの袖仕切りにご注目。テーブルの下には、ビールやジュースの瓶の王冠を開けるための栓抜きがついています。「こじって開ける」エッチングの小さな説明板がテーブルのへりについています。撮影当時は東武動物公園以北は喫煙可だったので、灰皿もついています)

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(通勤車よりは少ないですが中吊り広告も下がっていました。藤谷美和子や中森明菜が輝きを放っていた時代ですね)
この写真、見にくいですが、貫通路の上につけられた票差しに、赤字で「鬼怒川線」と書かれたボール紙の線区票が差し込まれています。裏側は黒字で「日光線」と書かれていて、浅草で駅員が入れ替えていました。これは、6050系への更新で、車内にも幕式の行先表示器が設置されるという、他に例を見ない方向性に進化していくわけです。
ちなみに、票差しは伊勢崎・西小泉行きや伊勢崎・葛生行きなど分割準急でも線区名が入れられていましたが、昭和50年代前半からは6000系快速だけに使われており、通勤車では全く使われていなかったのですが、しかし10030系の増備の途中まで新車にも延々と取り付けられて竣工していました。8000系の側面サボ受けと同じで、東武らしいといえば東武らしいですね。

一方、早朝・夜間の出入庫を兼ねた準急列車にも使用され、片開き2ドアの6000系はものすごく混雑しましたので、近郊からの通勤者の方々にとっては呪詛の対象ではなかったかと思います。
6050系では両開きドアになり、ドア付近にロングシート部を設けて少し詰め込みが効くように設計されたのはこのためであったと思われます。
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(北千住。この時代の通勤は大変でした)

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コメント

関東私鉄には料金不要のクロスシート車が少ないので、あの程度の車内設備でも受け入れられたのでしょうね。大学の鉄クラブの仲間に関西出身者がいて、このシートをボロクソに言ってたのを思い出します。
でも、往年の快速の走りはなかなかでしたね。

Cederさん
コメントありがとうございます。
東武という会社は、「このくらいでいいだろう」という見切りをするので、愛好家にはウケのよくない鉄道ですよね。6000系にもそういう匂いが感じられます。
野岩鉄道への乗り入れで6000系を更新した6050系は、バブルという時代の後押しもあって頑張った名車であると思いますが。

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