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2014年12月 6日 (土)

丸ノ内線の2両編成

確か、1953(昭和28)年の丸ノ内線池袋—お茶の水間開業時は2両編成だったと思うのですが、東京駅開業から3両編成になり、1981(昭和56)年に2000形2両で運行されていた方南町支線が3両編成に組み替えれてからは、2両編成は見られなくなっていました。

ところが、1995年、突如1日だけの復活があったのです。
池袋駅構内のシーサスクロッシング交換工事のため、7月の日曜日1日、ほぼ終日新大塚ー池袋間を運休、本線はシーサスのある茗荷谷—荻窪間の運転とし、茗荷谷—新大塚間はB線の片線運転で往復、これに500形2両編成が充てられました。既に本線は02系で統一されてたため、方南町支線用の3両編成の中間車を抜いて2両編成を仕立てたというわけです。

Img4992
(茗荷谷)
Img503_2
手作り感あふれる行先表示。

Wikipediaを見たら、こんな記述がありました。
……
• 83編成 (729-719-720))
1995年夏に池袋駅構内の分岐器交換工事のために新大塚 - 茗荷谷間で単線運転を実施したが、現用の02系では固定編成のため短編成には出来ないことからここでも500形を使用し、83編成のうち729を抜いた2両編成で運用された[16]。この際、行先表示器やステッカーは「新大塚 - 茗荷谷」と表記された。
……
Img502_2
(新大塚)
あれ?729がいるよ(笑)。
中間の719を抜いたというのが真相です。
久しぶりに、窓を開けて本線を走る500形を堪能しました。
次に500形が本線を走ったのは、お別れ運転のときでした。

Img501_2


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鉄道」カテゴリの記事

コメント

工事とはいえ、こんな方南町支線の車輌を用いることがあったのですか。
一日だけのためにわざわざ中間を抜かずに3連でいいんじゃないか、とも思うのですが、有効長か
なにか特別な事情があったのでしょうか?

なかなかに貴重なお写真ですね。
茗荷谷での折り返し、渡り線通過シーンが見たかったです。

品じぃさん:たしかに、2両にした理由は不明です。茗荷谷—新大塚間はおそらく線路閉鎖をかけてATSを殺しての運転だと思います。なにか保安上の理由でしょうかね?誰かに聞いてみましょう(謎)。

Cederさん:そうですね。B線を走ってきて、茗荷谷のA線ホームに渡るわけですから、通常ありえない経路です(しかも、茗荷谷の先のトンネルを引上線に使っていました)。通ったはずですが、記憶は全くありません。残念。私はそういう大ざっぱな奴です。

このブログでは初登場、初心者でございます〜。
こんな電車、運行されていたんですね。
貴重なお写真、ありがとうございました!

Chitetsuさん、いらっしゃいませ。
またまたご謙遜を。こちらこそよろしくお願いします。
昔撮ったネガをひっくり返しつつあるのですが、けっこう私も「街並みを求めて」いたことに気がつきました(笑)。そのうちupを始めることにします。

初めまして。ぐぐったら、このような写真が出てきまして、なつかしい!
このような運転があったのですね!
貴重な写真ありがとうございます!!
私は世代的に残念ながら本線の赤い電車は知りませんが、方南町には幼稚園時に母とよく行っていましたので、
荻窪~坂上間02系と、坂上~方南町間の赤い電車であまりにも新旧違うので驚いたのを思い出しました。
楽しい思い出です。

やきとりさん、コメントありがとうございます。
2両編成というのは、丸ノ内線開業時のわずかな期間しか運転されず、すぐ3両編成になりました。このような運行は最初で最後でした。
30年近く前までは、池袋駅の手前に仮駅のホーム跡があったりもしたのですが、昔日の名残は急速に失われていますね。昔のままで残っているのは、方南町のホームぐらいでしょうか。

こんばんは。
丸ノ内線のお写真を検索している中でこちらに辿り着きました。
少し前にも銀座線で、渋谷駅の工事による変則的な運転がありましたが、過去にも似たような運転が丸ノ内線でもあったのですね。大変興味深く拝見しました。
フレキシブルに短い編成にできるのも、この時代の車両ゆえでしょうか。2両だけの列車が、都会の地下を走っていたと思えば、それも心惹かれますね。
貴重なお写真、楽しく拝見しました。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さま:ようこそいらっしゃいました。銀座線も見に行きましたが、A線B線を使ったピストン運転でしたが、逆方向向けは乗客を乗せない方向別運転というのが特徴的でしたね。丸ノ内線の運転では、B線のみを使ったピストン運転でした。
ブログ拝見しました。全国飛び回ってらっしゃるんですね!

はじめまして。営団について調べていたらたどり着きました。まさか本線引退後、96年のラスト運転以外にこのような運用があったとは全く知りませんでした。
今は亡き祖母が池袋の病院に勤務していたので500形は会いに行く際に良く乗りました。私が最後に現役の500形を見たのは、確か中野坂上で母と見に行ったのが最後だったと思います。子供のころなので記憶が曖昧ですが、わざわざ普段行かない坂上へ見に行ったということは既に支線だけになっていたのでしょうね。

最近、アルゼンチンからの里帰りなど500形の話題が尽きませんが、このような貴重なものを拝見し童心を思い出しました。素敵な記事をありがとうございました。

マガネさま:ようこそいらっしゃいました。まさに1日だけの復活でした。私も物心ついた頃にはすでに6両編成でしたから(前面窓Hゴム化や方向幕脇の表示灯が残る車が先頭に立つ、原形に近い時代を目の当たりにできたのはよかったと思います)、開業当初と同じ2両編成は珍しかったです。アルゼンチンから里帰りの500形は動態保存を視野に入れているようなので、どうなるか楽しみですね。

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